【物質地球という奇妙な世界】

 

一般的に多くの人は、いま我々が存在しているこの世界は、物質

で出来ており、人間は、物質である肉体がすべてであり、母親が

受胎した時が自己の始まりで、死んで肉体が滅んだ時が、自己の

終わり、という認識をしています。また、死んだ後の再生は無く、

人生は一回限りであり、時間は常に未来から、現在、過去と一方

向に流れる、ということになっています

 

現在の科学によれば、宇宙がビックバンで誕生したのが、約14

0億年前で、地球は46億年前、人類は約600万年前に誕生し

ています。

また、我々が属する銀河は、その中に3000億個の星を含む、

直径10万光年(秒速30万kmの光が横断するのに10万年か

かる距離)の大きさです。さらに、宇宙には、数千個の銀河が直

径数千万光年の中に集まっている銀河団、数百個の銀河団が数億

光年の大きさに集まっている超銀河団、があると言われています。

 

これが本当であると、我々個人一人一人は、たかだか100年の

寿命で、今回の人生が一回だけで、死んだら全てが“無”となる

訳です。これでは人間とは、宇宙の無限さに比べると、本当にち

っぽけな取るに足らない存在で、殆んど存在の意味をなさない、

ということになってしまいます。

 

さらに、こういう様な世界、この様な社会にとっては、何が一番

大切か、という視点から見ていきますと、大変奇妙なことに気が

つきます。

 

この様な社会にとっては、一番大切なのは、もちろん、生きてい

ることです。いかに死なない様にするか、ということです。何故

なら、人生は一回しかなく、死んだら消滅して、絶対に戻って来

ないからです。また、我々の誕生も、あり得ない偶然によるもの

だからです。

 

母親の卵子が父親の精子によって受精した時に、自分と違う精子

が受精したら、自分ではなく、双子の兄弟が生まれる可能性があ

ります、受胎の時期が異なれば、兄弟は生まれますが自分は生ま

れないことになります。

 

これが、両親だけでなく、祖父母、曽祖父母、さらには、はるか

過去のご先祖まで続く訳ですから、アフリカの人類の母までに行

かない迄も、自分がいま存在しているのは、全く奇跡的な偶然と

言えます。(精子の数は億単位、ということを考えて下さい)。

 

この、「あり得ない様な偶然でこの世に存在し、ただ一回の人生

で消えてしまって、絶対に再生しない」、という世界においては

当然、一人一人の“命”ほど大切なものは有りません。

 

命が最も貴重である、ということを深く認識している社会では、

出来る限り、命を落とさない様に、死なない様に、死なない様に

という、社会システムで、すべてが造り上げられている筈です。

どれだけ費用が掛かっても、どれだけ労力を掛けても、必然的に

そういう社会になる筈です。ですが、我々の現在の社会は、その

様になっているでしょうか?

 

日本では毎年、数千人から〜1万人近くの人が交通事故で亡くな
っています。平成に
なってからだけで約19万人、ここ40年間
で30数万人です。全
世界では、この間に、単に交通事故だけで、
数百万人という膨大
な数の人が亡くなっています。
また、飛行機は事故回数は少ない
のですが、一度事故を起こすと
大惨事になります。

 

そのほか、地震や台風に大変不備な対策、踏切事故や崖崩れを起

こし易い多くの道路や鉄道、何度も繰り返される薬害や医療事故、

F1などのカーレースに冒険登山、有史以来世界中で常に起こっ

ている戦争や虐殺、などなど、死ぬことに対して無頓着と言える

ほどの、社会のシステム、人間の行動です。

 

これは、どうしてでしょうか?「偶然に存在して、一回で消滅し

て、取り返しのきかない人生である」、ということを知っている

人間が、この様なことをするのでしょうか?

さらに言えば、あなたが96才で死ぬとすると、生まれてから約

30億秒となります。いまも一秒一秒、時計に背中を押されなが

ら、あなたの消滅という死に向かって、じりじりと進んでいます。

どうしてこれに、平気でいられるのでしょうか?

 

この様な、人生が「一回限りで、消滅し、再生しない」という社

会における、“人間の生きる価値”とは何でしょうか? 例えば、

ノーベル賞受賞者の人生は、価値の有るものでしょうか?

 

確かに、本人が生きている間は、人々から賞賛され、人々の役に

立ち、本人も充実した人生でしょうが、それも死ぬ瞬間までのこ

とで、死後はどれだけの期間、人々に記憶され、業績が人々の役

に立つのでしょうか? 100年でしょうか、1000年でしょ

うか、1万年でしょうか。いつかは忘れ去られ、消えていくこと

でしょう。

 

その様なことよりも、実は、本人自身の存在が、死によって消滅

するため、死の瞬間以後は本人にとっては、ノーベル賞もまった

く価値が無い、ということに気づいて下さい。これは飽くまでも、

本人にとってはですが。

 

即ち、厳密に本人の視点からだけで見ると、ノーベル賞受賞の意

義は、死ぬ瞬間までのことで、死後人々に記憶され、歴史に偉業

として残ったとしても、まったく本人には意味が有りません。そ

れを知り得る本人自体が、存在しないからです。

 

一人一人の視点からだけで見ると、自分自身の死は、宇宙の消滅

とまったく同じです。宇宙の消滅、地球の破滅は、起こるかどう

か判りませんが、自分の消滅は100%間違いなく起こります。

何故、人々はパニックにならないのでしょうか?

 

地球が数十年後に破滅すると知ったら、多くの人はパニックにな

るでしょう。 自分自身の死は「自分が消滅する」という意味に

おいては、まったく同じことであり、これは確実に起こります。

ですが、これにはパニックになりません、どうしてでしょうか?

 

十数年前に、東京のJR新大久保駅で、線路に転落した人を助ける

ために、韓国と日本の青年が飛び降りて、助けようとしました。

命が「一回限りで、消滅し、再生しない」社会で、どうして思わ

ず飛び降りて、助けようとするのでしょうか? 自分の命はこれ

で終わって、一切この世には戻って来ないのに、何故自分の身を

捨てて、助けようとするのでしょうか?

 

宇宙の何億年という、想像も出来ない様な時間、これに比べたら、

人間個人は、数十年という瞬間とも言える時間に、線香花火の様

に現れて消える、人間は本当にこれだけの存在なんでしょうか?

 

「生きる価値」という観点からすると、これでは、価値はない、

としか言い様がありません。我々の人生は、まったく価値が無い、

のでしょうか? 本当にそうでしょうか?

 

これに対する答えは一つです。

『人間は死んだ後も、個体としての意識は存続し、この世に再生

もする』、ということです。

これを認識すると、いままでの疑問は、すべて解けます。

 

次の人生があるから、危険な車社会でもいい、便利だから完全に

は安全とは言えない飛行機があってもいい、不備な社会システム
もいい、死ぬような冒険をしてもいい、何十年後に必ず死ぬ人
でも今は気にしなくていい、自分の身を捨てて人を助けてもい
い、な
どなど、ということになります。(実は人間は深い意識で
は、
人生は一回だけではなく永続することを知っていますが)。

 

人間は、個人としての意識が、死後も存続すると、今回の短い人

生も、ノーベル賞受賞も、「本当に価値がある」、と言うことが

出来る様になります。どんな人生を送っても、その人生を土台に

して、さらにステップアップした、次の人生への展開が可能とな

るからです。

 

これから何度も何度も人生を続けることで、魂と言われる人間存

在の「個」は、無数の人生を体験していくことが出来ます。これ

により、今回の人生が不満足であれば次で正す、この積み重ねで、

永続的な「生きる価値」を、創造していくことが出来る様になり

ます。

 

この世には生まれつきによる、差異が存在します。生まれた国や

環境の違い、身体的才能的な優劣、肉体障害や知的障害を持つ、

などです。これらは、一回の人生では不公平ですが、次の人生が

あれば、今回はこれも一つの体験として、次では色々な形でこれ

を、修正変更して行くことが可能となります。

 

我々の人生は、自分自身一人一人が全てです。家族や人類が永続

するから、自分の人生は短くてもいい、という考え方もあります

が、物質的に見ると、自分が消滅したら自分の死後に、家族や人

類が永続しているかどうかさえ、知ることは出来ないのです。

 

この様に、個人の人生が、一回ではなく永続しなければ、何故人

間はこんなに命を粗末にするのか、世の中にある生まれつきの不

公平、などの説明がつかず、特に、自己の存在理由が無い、生き

ることの価値や意味が無い、という、大変奇妙な世界なります

 

あなたは、どの様に考えますか?

 

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