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一日の終わりに
diary














10月2日 名月夜

 中秋の名月。お月見をした。

 今夜の景色は自分の生きていた時に見た、最も美しい風景の一つに入るだろう。あまりに感動的な場面や、出来事に出くわすと、よくそう思う。
 俗に人が死ぬとき、人生を走馬灯のように振り返ると言われるが、そのときにきっと、この場面を一コマの絵のように思い出すのだろう。そういう貴重な瞬間がときどき訪れる。

 初秋の空気に満ちた清々しい夜で、とても肌寒かった。
 友人と某大学食堂で飯を食い、外に出ると空が澄み切ってて、そしてとても明るい月が輝いてた。
 これは月見をせねば!と二人で意気込んだが、躊躇いを覚えるほどにその晩は急に冷え込んできてた。夏が終わったばかりで、二人ともほどほどに薄着。迷った挙句、いやしかしこれは行かねばということで意見が一致した。

 その学内敷地には、お茶やお琴の稽古に使う、古い日本家屋と庭園があった。非常に趣のある場所で、辺りを森や塀に囲まれている。
 春先などにはよく梅見に入り込んだものだ。

 物の怪でも本当にいそうなほど真っ暗で、門を入るまでは肌に恐ろしさが染み込んでくる。しかし人間には、特に学校という空間には、こういう闇を携えた場所が必要だと思う。肌で感じる何かに畏怖する心は、人間が失ってはいけない感性と密接に結びついている気がする。

 そこを抜けるとぽかっと月光だけに照らし出された空間が浮かび上がる。
 月と星。虫の音、葉ずれ、秋と金木犀の匂い。木立に囲まれた広大な丸い空間は、月の光に満たされている。
 陽の光が見つけることのできない別な世界。
 月の光だけが照らすことのできる世界。そういうものが確かに存在する。
 夜の光は優しい。見えないものを照らすことのできる優しい闇。真実や真理の朧な姿。強い光に耐えられない、密かで細やかな存在の息遣いが、そこに確かに現れる。
 境界が薄く透き通った美しい世界の位相。

 自分が踏み込んではいけないと感じるほど、世界は美しい。
 心を作らずに、心を解いて還していい世界。
 あるがままでいていいことが嬉しくて。感じるままでいていいことが嬉しくて。
 穏やかさと荘厳さに満ちた、本当の世界の断片。

 時々垣間見ることのできる、こういう真理の欠片が、現実と呼ばれる世界の中で、自分を少なからず支えてくれているのを思う。
 魂は皆、本当は帰りたがっている。
 そうしないのは、ここに来ることに理由があったことの証明なのではないかと思う。
 世界が時々見せてくれる、自分の本当の姿。私という存在。
 それらを感謝と愛おしさの結晶として、日々心に保っていければいい。
 その眸が、曇りなきものでありますように。






9月5日 露草を 空に映して 祖母の逝く
 
 福島のばあちゃんが亡くなった。
 悲しいのに、とても暖かい葬儀だった。
 みんなが彼女を愛していたのがわかった。
 人の生き様とはこうありたい。人の逝き様とはこうありたい。


 死者は愛しやすい。欠点がないからとはよく言うが、欠点も愛しく思えるのは死者の特権だ。
 私の知る限り、抜けてておっちょこちょいで、一言多い上に都合の悪いことは忘れるばあちゃんだったが(言い過ぎ?(笑))、誰よりも家族や他者を深く思いやることのできる人だった。家族は暖かいもので、人は無条件に愛されるのだということを、ごく自然に当たり前に表現していた。

 この世に生まれてくる全ての命に、これ以上の祝福を与えられるだろうか。
 実は偉大な人だったのだなと、今にして思う。
 私の母に、そんな世界を最初に与えてくれたことに本当に感謝してる。
 その母がまた、私を同じように育ててくれたのだから。
 たくさんの愛が交わされた。だから私がここにいる。
 そう感じられる生命の連なりを、本当に美しいと思う。

 実は、彼女が亡くなる2週間ほど前に、じいさんとばあさんが二人で夢枕に立ったのだ。優しいけど淋しさを隠してるような表情が、なぜかとても胸に残って、その朝電話をかけた。
 電話口のばあちゃんはとても元気そうで、これから畑仕事をするという。なんとなく心配だったのでお盆にそっちに行くよという話をした。
 しかしそのときは、二人ともとても元気そうだったのと、他の用事が重なってしまったのとで、結局私は行かなかったのだ。また次に会えるさと思っていた。
 機会があっただけに本当に悔やまれる。
 生きている間に、一言ありがとう大好きだよと伝えたかった。

 訃報はあまりに突然で、3日の午前、日が変わってまもなく叔母さんから電話があった。母は現在外地にいたので急遽連絡を取り、帰国を待って田舎へと急ぐ。幸い葬儀とお通夜には間に合った。
 お通夜の霊前のお線香というのは絶やしてはいけないものらしい。
 そこで誰かが起きて、交代で番をする。
 その晩は、長いことばあちゃんと二人で話した。
 箱の中のばあさんは寝ているだけのように見えた。愚痴の多いばあさんが、本当に穏やかな顔で寝ていた。だからこそ、もうそこにはいないのだと感じた。
 
 たくさんお別れも言えた。十分にありがとうも伝えた。
 最後に会いに来れなくてごめんね。来て欲しかったって知ってたはずなのに。
 ごめんね…

 ばあちゃんは許してくれた。そんなことはいいんだよって肩を抱いてくれた。
 人は死んだら、心も身体もなくなるというのは嘘だ。
 あの晩、ばあさんは確かにそこにいた。
 形を持たないけど何か暖かな、愛情に満ちたエネルギーのようなものが、部屋の中にあった。私が何か言うたび、それは直接感情の中に触れてきた。変わらぬ同じ想いだけが心を満たしていた。
 優しい、ほんとに優しく暖かな愛だった。

 氷が溶けて水蒸気になるように、ばあさんはただ命の形を変えただけなのだろう。そのときの暖かな感情は、翌日の告別式の間もずっと残っていた。
 いい葬儀だった。
 全ての孫が学校を休んで参列した。
 本当に愛されていたんだなと思い嬉しかった。
 ばあさんは十人近いすべての孫の出産に立ち会っている。そのどれもをわけ隔てなく愛した。私と妹が生まれたときには、遠くフィリピンまで出向いている。

 実はその日、もう一人の葬儀が重なっていた。
 ばあちゃんの実弟だ。もう長いこと脳死状態が続いていたそうだ。ばあさんが亡くなった数時間差で、後を追うように息を引き取ったということだ。
 親類の間では、もう苦しまなくていいと、ばあさんが連れていったんだろうと言っている。

 火葬場の煙が、真っ青な秋の空に溶け込んでいった。
 ああやって天に昇っていくんだなぁと、なんとなく思った。
 その日は本当に空が高く澄んでいて、足元に咲いていた露草の鮮やかな青を、そのまま映したような色をしていた。

 さっきまで触れられた体が、すっかり灰と骨になってしまうのを見ると、人の生命の儚さをつくづく感じる。
 もう物を食べることも話すことも、畑仕事もできないんだ。
 ふと、ばあちゃんの焼おにぎり、もう食べられないのかと淋しさを実感した。

 僕たちもすぐ行くよ。あと百年も生きられはしないんだ。
 そう考えると短いなぁ。最近一年てあっという間だもんな。

 今回一番こたえたのは、さよならを言うひまがまったくなかったこと。
 あんなに世話になって大好きだったのに。
 身のまわりの大事な人々。今生出会えた家族や友人や恋人、愛する人たちに、私はちゃんと気持ちを伝えて生きているだろうか。
 永遠に思えるありふれ日々が、貴重な奇跡のような時間なんだと思う。
 これからはなるべく言葉にして気持ちを伝えよう。手紙を書こう。
 限られた短い時間だから、悔いのないように。
 長くなりました。おやすみなさい。






8月13日 誕生

 十年来の友人の家に、子供が生まれた。
 知らせを受けて、今日は病院まで様子を見に行く。
 嬉しいですね。もう二人目。長年ずうっと見てきた彼の顔が、だんだんお父さんになっていく。 すごくしあわせそうです。四人家族か。
 
 人って不思議です。子供ができたり育てたりって、本当に幸せを伴う本能なんだなぁって、彼らを見てても思います。
 愛するものや守るもののために、人はそれと気付かず、自分の中の強さや優しさを表現していく。そんな営みが、すごく魅力的に見えます。


 新しくここに生まれ来た君よ。
 君が眸に、幸深き世界の映るよう。
 君が魂の、その自由と実りを遂げるよう。
 多くの祝福と感謝が、君の道にありますように。






7月2日 屋久島探訪記
 
 7月1日より屋久島に発つ。
 時間と資金が確保できたので、かねてからの望みを行動に移したのだ。といっても計画があったわけではないので、例によって行き当たりばったりな旅である。
 ANAの期間超割切符で羽田から鹿児島まで一万円。いい時代になったものだ。こんなものでもなければ、国内といえどなかなかこんな遠出はしづらい。 そして鹿児島港から屋久島までフェリーで3,4時間。

 初日は宿を探してうろつきまわるのと、今後の計画を練るので潰れる。
 一人旅は久しぶりだ。初日の宿が、愛想がなくいまいちだったのもあり、孤独な夜になんだかふと無性に寂しくなる。
 あてのない旅の初日はだいたいいつもこんなものだ。友人の書いた物語小説を読む。
 
 二日目。
 初日着いた安房から、バスで北に向かい、宮之浦に拠点を移す。
 港の観光案内所によれば、若い人の集まる素泊まり宿があるとのこと。リピーターが多いというのは宿を選ぶ大きな目安になる。
 「晴耕雨読」の名前に惹かれそこに決める。
 雰囲気もよく、その後山で会った人との再会もあり、結果的にこの宿はいい選択となった。
 同案内所でレンタカーを手配してもらい、宿に荷物を置いて、そのまま白谷雲水峡を目指す。今日の午後はすべてそこで過ごすつもりだった。

 屋久島は今がすいている時期なのか、ほとんど他の観光客に遭遇もしなかった。GWのあとで夏休み前だしな。ユースも休館なわけだ。
 いずれにしろ、ほとんど他の車にすれ違わないのは好都合だ。出来るならば不必要に乗りたくない自分の運転。すれ違ったのは、わずかにタクシー2台だけだった。あと途中の山道にサルの親子3匹(笑)
 これは相手がすばやかったので、惜しくも写真に収めることは出来ず。

 途中の景色に感動しながら、しばしば車を停めながらもなんとか目的地の雲水峡まで辿り着く。
 が、ここで一つ重大なことに気が付く。時刻は正午前。すでに雲水峡の入り口だったが、早い朝食よりさき何も食べてない。あまつさえ水もない。当然ここには、何一つとして食える物は売っていない。
 これから半日山に入ることを考えると少々無防備だ。しかも極めつけはサンダル履き(爆)
 我ながら山をなめきっている…
 まぁ、入り口案内のおじさんによれば、沢の水は飲めるということだし、半日くらいなんとかなるだろう。かまわず突入する。この原生林を前に、飯ごときで戻れるか。

 事実、山に入ると不思議と疲れや空腹は気にならなくなる。
 ありのままの自然の中、吸い込む空気に、濃い程感じられるエネルギーが、からだに流れ込むのが分かる。歩くほどに身体も心も元気になって行く。すげー気持ちいい…

 太古の樹々の息づく原生林は、生命の強い匂いがする。目に触れるもの、肌で感じるもの全てに、生命のしっとりとして勇壮な質感が伝わってくる。
 木の匂い。樹と苔の匂い。水の匂い、水の音。
 一人で歩いていても、森の中では独りだと感じない。
 たくさんの命の気配があって、大きな生命の水底を進んでいるような気がする。

 森を歩いていると、唐突に蝉時雨が始まる。
 一匹が鳴き始める。津波の前の引き潮のような、数秒のため。
 そしてあらゆる森の音を飲み込んで、壮大な唱が現れる。
 蝉の声、かぶせるような蛙の声。せせらぎ、葉ずれ、大気の震え。
 一つの音、一つの声が連続性を持って、次の音に受け渡される。
 止まることのない音楽。雨の中にいるよう。
 大音量の中にいるにもかかわらず、不思議な静寂に包まれている。
 今まで気が付かなかった遠くの水音が意識できる。心が澄む。
 音が創る静けさがあることを知る。
 始まったときと同じように、唐突にそれは終わった。

 コケや蔦、いくつもの小さな生命が、一つの樹に交わり、融け合う。
 絡み合った幾千もの樹々が、森という生命を創る。
 倒木はまた新たな苗床になり、生も死もただあるがままの循環のなかに、途切れることなく存在しつづける。なんて安らかな営みなんだろう。
 溢れるままに満ち、恵み豊か。世界は本当に美しい。
 生命の偉大さそのものの中にこそ、神がいると感じられる。

 たくさん森を散策し、滝の見える岩棚で、この自然と世界に想いを馳せ、祈った。一時間ほど森を眺め、そしてそこで、力尽きるように満足してしまった。
 他にも計画していたことはあったのだが、屋久島に期待していたことは満たされたので、十分だった。これ以上、自分がここにいても、屋久島の自然と生命たちにとっていいことはなにもない。
 この自然がここにあることが分かったから、もういい。

 そして翌3日は、離島の口永良部島に渡り、温泉につかる。
 その後の二つの台風の接近も考慮し、4日には早くも東京に戻る。
 宿にあったすごく暖かい絵の縄文杉のポスターが、いい土産となった。
 かなりお気に入りで、長年来の天球図に代わり、部屋の中心の壁を、現在飾っている。
 機会があればまた訪れることもあるだろう。よい旅だった。













2001年 5月〜6月

2001年 3月〜4月









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